多久市へ移住を考えたきっかけ
実家が小城市にあり、狩猟をしたいと思っていました。 多久市に当時移住体験住宅があったので令和2年11月から4週間利用し、多久市の猟友会に入会しました。 その後多久市で地域おこし協力隊の募集があり、令和3年3月より任務し、西多久地区の幡船の里での農産物の販売や促進を行っていたが、地域の要望で猪をどうにかしてほしいとのことで狩猟を業務に追加してもらい、狩猟したイノシシの処理を考え、食肉加工提供し名産とすることを考え地域おこし協力隊の任期中に起業しました。
多久市を移住先に決めた決め手
西多久の人が快く受け入れてくれたことです。
多久市で暮らしてみた感想
多久市は最高です。歴史的な文化を大切にしてあり、昔ながらの行事もたくさん残っています。また、近所づきあいや人とのつながりが色濃く、持ちつ持たれつの関係で、味噌や醤油の借り貸しなどもあり、都会にはないものがあって充実しています。 都会は遊びに行くところで生活の場ではないことを痛感しました。
移住して困ったこと
飲食店は少ないが、そこまで気になりません。
多久市のお気に入りスポット
・八久保地区(眺めがよく、緑たくさんで夏涼しい) ・船山地区(集落の付き合いが楽しい、行事も多い) ・多久聖廟(歴史的建造物) ・ウォールアート(中心商店街をはじめとし、多久にはたくさんあります)
これからやってみたいこと
西多久テラス(起業した会社)を軌道に乗せることと、ツアーを企画し、ジビエ紹介、革細工、罠の紹介をしていきたいです。
紹介
地域おこし協力隊として令和3年に西多久町へと移住した木下さんは、住民の困りごと相談から名産品のPRなど、幅広く活動されてきました。中でも獣害対策には農家のみなさんの声を受けて熱心に取り組み「安心して農作業できる」と喜ばれています。 駆除したイノシシは食肉加工ができない場合、地面を1m以上掘って埋めるしかありません。そうした中で「イノシシ肉でジビエ料理を提供すれば新たな名産品になるはず」という思いがあった木下さんは、課題を魅力へと昇華するために動き出しました。 イノシシを食肉として加工処理する設備を整えるには、さまざまな厳しい基準を満たす必要があります。「加工処理は未経験だったので、地元猟友会や保健所など、多くのみなさんに助言をいただきながら一つ一つ進めていきました」と当時を振り返ります。 そして令和5年8月、遂に「西多久テラス合同会社」を開業。西多久を太陽のように明るく、元気に照らしたいという思いを込めて名付けられました。地域おこし協力隊が食肉加工を担う会社を立ち上げたのは、県内初めてです。 西多久テラスでは食肉処理と加工、惣菜などの販売と徐々に手を広げ、販売箇所も増やしていきました。マルシェへの出店やイベントでも好評を博しており、令和6年2月には多久市観光協会と連携して「ジビエカレーを味わう会!」を開催。131人もの人が西多久公民館に集まり、イノシシ肉を使ったカレーに舌鼓を打ちました。 評判が広まり、ジビエ料理を始めた人が食肉加工を学びに来ることもあるそう。「まずは会社を軌道に乗せ、後継者の育成にも力を入れていきたいです。移住当初から住民のみなさんが温かく迎え入れてくれたこともあり、ますます西多久が大好きになりました。これからも愛する地域のため、精一杯頑張ります」と笑顔輝く木下さんは、これからも西多久の素晴らしさを市内外へと広めていきます。